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『豊臣兄弟!』竹田城攻略はどこまで史実?なぜ秀吉は女子供を処刑?命の期限が迫る半兵衛…第21回放送を考察

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竹中半兵衛はなぜ進撃を提言した?

回を追うごとに顔色が悪くなり、ついには白昼堂々寝落ちしてしまった半兵衛は、秀吉から意味深に「急いておるのか」と問われます。

死んでしまえばもう戦はできません。残り少ない余命を意識しながら、ひたすら前進を提言したのでしょう。

と言うより、播磨の諸大名が表向き臣従したから「ハイこれで任務完了。帰って上様にお褒めいただこう」という秀吉の感覚が、かなりの油断と慢心を感じます。

播磨が織田におさえられたら、その向こうにいる宇喜多や毛利が黙っているはずはありません。秀吉の中国攻めは、まだ始まったばかりです。

福原城(佐用城)はどのように攻略された?

劇中で上月城の前哨戦程度に言及された福原城(兵庫県佐用町)。こちらは佐用城(さようじょう)とも呼ばれ、建武年間(1334~1338年)に築城されました。

城主の福原則尚(ふくはら のりひさ)は天正5年(1577年)11月に秀吉・官兵衛・半兵衛らの猛攻を受けた末に自刃して果てます。

『黒田家譜』では城主が福原助就(すけなり)となっており、官兵衛が提言した囲師必闕(いしひっけつ)の策に陥って敗走し、平塚為広(ひらつか ためひろ)に討たれました。

囲師必闕とは劇中で言及された通り「大軍で包囲する時は、必ず一ヶ所の隙を作れば、敵はそこから逃げようとする」というものです。

劇中では、半兵衛があえて「穴がないという穴のある策(要するに完全包囲策)」を提言することで、官兵衛の器量を試していました。

かくして二兵衛(半兵衛と官兵衛が秀吉を補佐する)時代が幕を開けるのですが、残念ながらあまり長くは続かなかったのです。

『豊臣兄弟!』近づく半兵衛(菅田将暉)の最期、黒田官兵衛(倉悠貴)との熱い絆…天才軍師「両兵衛」を比較

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3ページ目 小一郎は実際どのように竹田城を攻略した?

 

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