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家臣と愛妾の密通を目撃!浮気現場を押さえた戦国大名・真田信之の智将ぶり冴え渡る冷徹な一手

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浮気するようなクソ女より……

すると信之は「無用に候。大切の侍を屁ひり女に替可申(かえもうすべき)や」と答えたそうです。

いざ有事には生死を共にする大切な家臣を、屁ひり女(屁をひるクソ女。ここでは愛妾のこと)なんかのために斬る訳にはいかない……そう言い切りました。

もちろん長局に通うくらいだから、一定以上の愛情はあったのでしょう。しかし家臣と密通するようなクソ女だったと判れば、もはや惜しくはない。そんな意思も感じられます。

このやりとりは真田家中に広まり、家臣たちは浮気した者も含め「そこまで家臣を大切に思ってくれている殿のために、命を惜しまず奉公に励もう」と思ったはずです。

かくして真田信之はクソ女と引き換えに、ますますその名を高めたのでした。

ちなみにクソ女呼ばわりした愛妾を、信之がどのように扱ったのか、詳しいことはわかっていません。表面上は良好な関係を続けたのか、それともあっさり離縁したのか……。

真田信之とは何者?

永禄9年(1566年)生~万治元年(1658年)10月17日没(享年93歳)

武田家臣・武藤喜兵衛(のち真田昌幸)の長男として誕生。幼少期は武田家の人質として過ごし、武田家の滅亡後は独立した父と共に豊臣秀吉へ仕えます。

正室には小松姫(本多忠勝の娘)を迎え、真田信政(のぶまさ)・真田信重(のぶしげ)・まん(高力忠房室)・まさ(佐久間勝宗室)の二男二女をもうけました。

やがて秀吉の死後に関ヶ原の合戦が勃発すると、父や弟の真田信繁(幸村)と決別して徳川家康に仕え、信州松代藩(長野県長野市)の初代藩主となります。

その後、松代藩は第10代真田幸民(ゆきもと)まで続き、明治維新を迎えたのでした。

終わりに

今回は戦国大名・真田信之の浮気対策?について紹介してきました。

浮気事件を「愛妾よりも家臣を大事にする」ことをアピールするキッカケとして利用したのですが、相手(愛妾の魅力や、浮気した家臣が誰かなど)によっては態度が違ったのかも知れませんね。

取るに足りない家臣だったら斬り捨てたのか、よほど魅力的な愛妾だったら浮気を許さなかったのか……往々にして頭に血が上りそうなところ、瞬時に冷静な判断ができる智将だったと言えるでしょう。

ここまでの機転は利かないまでも、勘違いの可能性もありますから、少しでも落ち着いて対処したいところですね。

※参考文献:

  • 氏家幹人『武士マニュアル』メディアファクトリー新書、2012年4月
  • 黒田基樹『シリーズ・織豊大名の研究 第5巻 真田信之』戎光祥出版、2017年4月
 

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