悪役扱いされがちな政治家・山県有朋、“近代陸軍の父”が背負った4つのレッテルの真相:3ページ目
政党政治への意外な評価
政党政治についても、山県は完全に否定していたわけではありません。ただ今は時期尚早だと考えていただけで、政党政治の有用性は理解していました。
その傍証となるのが、原敬との関係です。山県と原は対立的な関係にありましたが、山県から原に対する信頼は生涯変わらなかったと言います。
そして原が暗殺されたとき、山県は深く悲しみ、寝込むほどの衝撃を受けました。山県は単なる反政党の専制家ではなく、政治家としての力量を認める柔軟さを持っていたのです。
歴史的人物の評価は、後世の政治状況によって歪められることがあります。特に戦後の日本では、軍国主義への反省の文脈で、山県有朋は軍部暴走の源流として過度に悪役化されました。
しかし、実像を見てみると、山県有朋は近代日本の制度を作った制度設計者であり、懐の深さも持ち合わせていた人物だったのです。
参考資料:浮世博史『くつがえされた幕末維新史』2024年、さくら舎
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