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2026年はなんと60年に一度の「丙午」年!謎の迷信“丙午生まれの女は男を喰う”が人生を狂わせた実例

2026年はなんと60年に一度の「丙午」年!謎の迷信“丙午生まれの女は男を喰う”が人生を狂わせた実例:3ページ目

ただの迷信が江戸時代から昭和まで続いた

「丙午生まれの女は男を喰う」という根拠のない迷信は、都市伝説のように尾鰭をつけながらも全国的に広まり、江戸時代を超えて明治時代にも受け継がれました。

明治39年(1906)の丙午の年では、前年より出生数が約4%減少

“元日に生まれた女児の将来を案じる新聞記事”が掲載されたこともあるそうです。ただし、この前年は日露戦争で「父親が戦地に出向いていて帰国したのが丙午の年だったため、出生率が下がった」という状況も影響したようです。

また、明治39年生まれた女性が結婚適齢期を迎えた大正13年(1924)〜大正15年・昭和元年(1926)にかけては、「丙午の女性は夫を食い殺す」迷信のせいで縁談が破談になったり婚期が遅れたり、それらが原因となった自殺報道が続くなど、深刻な社会問題となったそうです。

さらに、多くの役所の戸籍簿が焼失した大正12年(1923)の関東大震災では、再編時に娘の出生年を“丙午ではない年”に書き換えて申請する親も増えたといわれています。

「何の根拠もない迷信」だとはわかっていても、やはり「偏見や差別」意識は根強く残っり、それは昭和まで続きました。

昭和41年(1966)の丙午の出生率は前年より46万人も減少。江戸、明治と経て、高度成長期にある日本で、そんな古い迷信が影響力を持っていたのも以外ですが、1964年ごろから、メディアがこの迷信を取り上げたことが人々の不安を膨らませたそうです。

その前の明治39年(1906)の丙午に出産率が低下したことを覚えている高齢者が、「丙午の出産を避けたほうがよい」とアドバイスをしたことも影響されたとも。

ただし、この頃は「計画出産」が推進されていたことから、出産の間隔をあけたり子供は少人数でいいとしたりする社会の流れもあり“迷信のせいだけ”ではないようです。

4ページ目 エネルギーと逆境を乗り越えるパワーのある「丙午の年」

 

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