鋭すぎる縄文人の美意識──遮光器土偶のルーツを探ると見えてくる縄文の祈りの形:2ページ目
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土偶は時代と共に変化した
今から約7000年前の縄文時代早期には、北海道~九州までの広い地域で〝第2世代の土偶〟が出現します。その土偶たちはどれも上半身のみで、小さな頭部があっても目鼻口はなく、僅かにつまみ出されたような腕があり、大きさは数センチほどです。
そして今から約5000年前の縄文時代中期になると、全国各地で土偶作りが盛んになります。当時、人口は爆発的に増え、集落では祭祀などが盛んに行なわれるようになりました。
〝遠目でも目立つ〟ような立像が多く作られ、人間を模したような目鼻口が描かれた頭部や手足を持つ土偶が各地で出現しました。
こうして祈りのシンボルとしての役割を持った土偶は、それぞれの文化を背景に特徴的な造形を持つようになりました。
積み重なった土偶文化が遮光器土偶を作った
遮光器土偶の大きな目は突然現れたものではなく、この土偶が誕生する前の時代(縄文時代後期)の土偶の目が、徐々に変化したものだと考えられています。
また頭の上の王冠のようなものは、髪型やかんざしを誇張した表現と思われ、引き締まったウエストや膨らみを持った足などと共に、何らかの意味を持っていると考えられそうです。
東北で誕生した遮光器土偶は、やがて北海道や東日本へと広がります。その過程でさらに他の文化の影響を受けるなどして、大きな目が小さくなったり、王冠が角の様になったりと、定番の形とは違う遮光器土偶が作られていきました。
初期の土偶とまるで違う造形には、それだけ多くの祈りや多様な文化が混じりあったことが伺えるようです。
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