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縄文時代の貝塚は単なる“ゴミ捨て場”ではない!350体もの人骨が発掘された事実に見る縄文人の死生観

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貝塚から見つかる墓や骨から見えてくること

貝塚からは祈りの道具と思われる土器や土偶、そして墓や人骨、副葬品などが見つかることがあります。

例えば北海道の「高砂貝塚」では、貝塚の下から多数の墓が見つかり、数十体の人骨が発掘されました。

人骨は頭を同じ向きにし、ヒスイなどの玉類や黒曜石の石鏃等の副葬品を伴ったものや、ベンガラ(赤色顔料)が撒かれていたものなどがありました。

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また渥美半島の「吉胡貝塚」では、350体以上の人骨と、人と同じように丁寧に埋葬された18頭のイヌの骨も見つかっています。

一説には、縄文人は「不要になったモノ・役目を終えたモノをあの世に返す」という世界観を持っていたと言われています。

それは単なるモノにとどまらず、動植物や人間までもがその対象であったと考えられるのかもしれません。

そしてそれらを埋葬する前には、様々な儀礼を執りおこなっていたと想像されています。これらは縄文時代の葬送に関わる文化を今に伝える資料となっています。

貝塚は宝の山

貝塚の形成には、地球規模の温暖化によって内陸深くまで海水が流れこんだ「縄文海進」が大きく影響しています。

関東では現在より50㎞以上も海岸線が内陸にあり、栃木市付近でも貝塚が確認されています。

それらには今は見ることの出来ない景色、そしてそこで暮らしていた縄文人の生活や精神文化を知る手がかりが眠っているのです。

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