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徳川家康が愛した“無欲の男”——静岡の地名にも残る謎の豪農・惣右衛門とは何者だったのか?

徳川家康が愛した“無欲の男”——静岡の地名にも残る謎の豪農・惣右衛門とは何者だったのか?

先日カツオの刺身を買ったら、ふと産地が気になりました。裏面を見ると、そこには「静岡県焼津市惣右衛門」と書いてあります。

気になりませんか?筆者は気になってしょうがありません。

「地名の由来になった惣右衛門(そうゑもん)って、一体何者なんだ?」

という訳で、今回は静岡県焼津市「惣右衛門」の由来となったであろう惣右衛門について紹介します。

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家康に愛された「みだらけ惣右衛門」

惣右衛門とは徳川家康の鷹狩りにお供していた豪農の当主。その名を良知惣右衛門(らち~)と言うそうです。

良知家は慶長9年(1604年)の大井川洪水で荒廃してしまった農地を再び開墾、見事に復活させました。

みんなのために惜しむことなく私財を投じた惣右衛門。人々は彼の功績を讃えてこの地を「惣右衛門」と呼ぶようになったと言います。

家康もしばしば当地を訪れ、彼を「みだらけ惣右衛門」と呼んで、その誠実で無欲な人柄を愛しました。

みだらけ、とは漢字で「御百性家」と書くそうです。御『百姓』家ではなく、あえて御百『性』と書きます。

役職に推薦しても辞退し、金銭を下賜しても人々に振る舞ってしまう無欲な様子を指す言葉として、長く言い伝えられてきました。

そんな御百性家こと良知家には、徳川家より賜ったモノや逸話が残っています。

2ページ目 重傷の家康を保護、久能山東照宮のカギ

 

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