明治政府が犯した外交の失敗・アメリカの罠――岩倉使節団の裏で進んでいた“不平等条約の完成”【後編】:3ページ目
「最恵国待遇」という罠
さて、大久保と伊藤が日本に帰国している間、木戸はアメリカにいた駐日ドイツ公使のブラントと面会しました。
ブラントは、日本がアメリカと単独交渉を進めようとしていることに驚きます。そこで木戸はアドバイスを受けました。それは、最恵国待遇という不平等条約の付帯事項のことです。
仮に条約改正のために日本が大幅に譲歩して、開港場数を増加・外国人居留地を撤廃・輸出税廃止などをアメリカに認めてしまうと、それら全てを他国にも認めることになってしまうルールになっていたのです。
この点を、伊藤や森はもちろん、木戸や大久保も忘れていました。
これを受けて、木戸はアメリカとの単独交渉は勇み足だったと気付きます。岩倉具視も同感で、ここでアメリカとの単独交渉は打ち切られることになりました。
大久保と伊藤は、委任状を得て再渡米しましたが、二度手間のみならず完全に無駄足となりました。今の時代から見ればずいぶん間の抜けた話です。
教科書でよく見かける、岩倉使節団は渡米したものの条約改正には至らなかった……そのかわり現地の文化を視察してきた、という短い説明文の裏には、こんなエピソードがあったのです。
余談ですが、幕末期を舞台にした石渡治の漫画『HAPPY MAN』には、主人公の桂小五郎がしょっちゅうブチ切れて頭から血を吹き出すギャグ描写があります。
もしもこの漫画の連載がもっと長く続いて「明治編」もしっかり描かれていたら、きっとこの岩倉使節団の渡米のエピソードでは、桂小五郎こと木戸孝允はしょっちゅうブチ切れていたことでしょう。
参考資料:浮世博史『くつがえされた幕末維新史』2024年、さくら舎
画像:Wikipedia
