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朝ドラ「ばけばけ」病に侵され奪われた未来…錦織友一(吉沢亮)のモデル、大盤石こと西田千太郎の生涯

朝ドラ「ばけばけ」病に侵され奪われた未来…錦織友一(吉沢亮)のモデル、大盤石こと西田千太郎の生涯:2ページ目

東京への遊学と教壇への道

授業手伝として働く千太郎は、少しずつ自分の道を踏み固めていきます。

明治17(1884)年、千太郎は安食クラと結婚。翌明治18(1885)年に長女キンが生まれました。

しかし子供が生まれてすぐ、千太郎は松江中学を退職。千太郎の脳裏には、すでに次の道が見えていました。

この後、千太郎は東京に遊学。「ばけばけ」でヒロイン・トキが出会うシーンで描かれましたが、正式な教員を目指すために勉学に励んでいたと思われます。

明治19(1886)年、千太郎は文部省の実施する中等教員検定を受験。心理学・倫理学・経済学・教育学の4科目に見事合格し、同年には兵庫の姫路中学の教員として働き始めます。

翌明治20(1887)年には、香川の済々学館の教長に就任。順調に教員としてのキャリアを築いていました。

明治21(1888)年には、島根県尋常中学校(のちの松江中学校)へ復帰。翌明治22(1889)年には島根県尋常中学校教頭心得兼務となって、教授法の改善や経費節減など運営面にも腕をふるいました。

小泉八雲との出会いと過ごした時間

やがて千太郎に運命的な出会いが訪れます。

明治23(1890)年、ラフカディオ・ハーン(のちの小泉八雲)が英語講師として着任。ハーンを迎え入れたのが千太郎でした。

このとき、二人は急速に親しくなります。

ハーンは松江での取材・調査・資料蒐集の局面で千太郎の助力に頼りました。ハーンは千太郎。を「利口で親切、よく事を知る」と評したと伝えられます。

明治24(1891)年、千太郎はハーンと小泉セツの結婚に際し媒酌人も務めていました。

小泉セツの実母・小泉チエの実家は、松江藩家老も務めた塩見家です。千太郎の実家・西田家は、塩見家の家来筋であったと伝わります。

ドラマ「ばけばけ」では、東京で錦織友一と松野トキが出会うシーンがありましたね。実際の千太郎とセツはすでに知り合いであった可能性があります。

とにもかくにも、ハーンは小泉セツと結婚して、のちに小泉八雲と名乗りました。

ハーンこと八雲と千太郎の友情は、この後も続きます。

八雲は熊本時代に著した『東の国から』を「出雲の日々を偲んで西田千太郎に」と献呈しました。

また、八雲が松江の名所を訪ねる際、「親友 Nishida Sentaro の紹介状がある」と書いた英文記事も残っています。このことから、千太郎が現地の案内役・紹介者として機能していたことがうかがえます。

3ページ目 結核が奪った千太郎の未来

 

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