『べらぼう』暴走する蔦重と定信をたしなめる人々と、「そうきたか!」な蔦重マジック【後編】

高野晃彰

松平定信(井上裕貴)の寛政の改革で、環境が悪化する吉原を救うために “女遊びの指南書”を「教訓読本」として出版した蔦重(横浜流星)は、とうとう牢に入れられてしまいます。

「かようなもの(本)は二度と出さぬと誓え!」と迫る松平定信に、蔦重は「庶民は、清冽な水(定信の政治)よりも、元の濁った水の(田沼の政治)ほうが住みやすいと思っている」と、市中に広まる落首を例に挙げ、痛烈に批判しました。

江戸一番の本屋としての矜持、自害した春町への思い、貧困地獄に陥りそうな吉原の救済……いろいろな思いを背負い、平賀源内(安田顕)の「心の思うままに、我儘に生きる」の言葉を胸に突っ走る蔦重。そんな彼を「我儘な人間」と評する声もあります。もちろんその通りなのですが、この生き様だからこそ蔦重という人間が現代でも愛されているのでしょう。

【前編】の記事はこちら↓

『べらぼう』”禁句”をぶつけた蔦重の戯けにプライド高き松平定信が大激怒!互いの胸中を考察【前編】

「近頃『白河の清きに魚住みかねて 元の濁りの田沼恋しき』……なんて詠む輩もいるんですよ」べらぼう第39回『白河の清きに住みかね身上半減』では、「ふんどし野郎(松平定信/井上裕貴)」に禁句の、“…

【後編】では、突っ走る蔦重と定信を戒める周囲の人々。そして、前段未聞の大ピンチに陥りつつも、「そうきたか!」とピンチをチャンスに変える蔦重マジックの凄さなどを振り返り、考察してみました。

「女郎は親兄弟を助けるために売られてくる『考の者』」と説くてい

牢に入れられた蔦重が、詮議の場で定信を相手に盛大に「戯けた」(批判した)ことを聞き、妻てい(橋本愛)は気を失ってしまいました。けれども、メソメソと泣くような女性ではありません。女将として夫・蔦重を助ける決心をし、定信が信を置く儒者・柴野栗山(嶋田久作)に会います。

「夫は女郎が身を売る揚代を、客に倹約しろと言われていると嘆いておりました。遊里での礼儀や女郎の身の上、左様なことを伝えることで、女郎の身を案じ、礼儀を守る客を増やしたかったのだと思います」と、伝えます。

ていは、離婚した前夫が吉原通で店を潰してから、遊里には偏見を持っていました。そんな、ていの口から「女郎は親兄弟を助けるために売られてくる『考の者』。不遇な考の者を助るは正しきこと」という理路整然とした言葉が出てきたのはぐっときましたね。女郎を『考の者』と、まっすぐに称賛するところは心打たれる場面でした。

「どうか…儒の道に損なわぬお裁きを願い出る次第にございます!」と締めたていの凛然とした態度。つくづく身についた「知性」「教養」は、自分だけではなく人をも助けられるものだと感心しました。

そんな、ていの献身的な働きもあり、蔦重へのお裁きは『身上半減』。「はあ…身上半減?」「そりゃあ…縦でございますか?横でございますか?」(半分に斬られてしまうのは、縦切りか横切りか)と、まだ戯けて言い返す蔦重。

「蔦屋耕書堂及びそのほうの身体半分召し上げるということだ」という奉行に「こりゃあ富士より高いありがた山にございます」と地口で返します。

その時、お白洲にいたていは、きっと「ここでこれ以上夫が減らず口を叩き続けていたらお上の怒りを買い、「身上半減」どころではなくなる」と危機感を覚えたのでしょう。急に立ち上がり思いっきり蔦重を張り倒しました。

「己の考えばかり…皆さまが…どれほど…」と夫を押し倒して拳で泣きながら殴りつけるていに、同席した駿河屋市右衛門も、奉行も、同心らもあっけにとられて誰も何もいえませんでした。これ以蔦重に戯けさせなかった、ていのナイスファイトでした。

5ページ目 「人は『正しく生きたい』とは思わぬのでございます!」

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