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【べらぼう】蝦夷地を追われ…破天荒な父・松前道広に振り回された嫡男・松前章広の20年越しの復帰劇

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20年以上の歳月を越えて

これが一時のことでありますように……そんな願いも虚しく、幕府は享和元年(1801年)7月21日に蝦夷地支配の永続化を決定します。

武蔵国に与えられた五千石の所領も召し上げられ、代わりに年金3,500両(約3億5千万円)が与えられる事となりました。

かくして松前家は、領主でさえもなくなってしまったのです。

このまま終わってなるものか……とばかり、章広は父の伝手を活かして、猛烈な復帰運動を開始しました。

一橋治済や老中の水野忠成らに対し、猛烈な賄賂攻勢を展開したのです。

その甲斐あってか文化4年(1807年)、陸奥国伊達郡梁川(福島県)に九千石を拝領しますが、まだ大名(一万石以上)には届きません。

ちなみに同じ年、父の道広がこれまでの放埒三昧により、永蟄居(無期限謹慎)を命じられてしまいました。身から出た錆でしょうか。

それからしばらく経った文政4年(1821年)、20年以上の歳月を越えて、松前家が父祖伝来の蝦夷地復帰を許されたのです。

名目上は「ロシアからの脅威がなくなったから」とされたものの、その実態は蝦夷地がそこまで「儲からなかった」からかも知れません。

なお、文政5年(1822年)には父の道広も永蟄居を解かれました。

かくして蝦夷地へ戻った松前家は、天保2年(1831年)に1万石に復し(加増され)て大名の地位も取り戻します。

天保3年(1832年)6月20日には父・道広が79歳で世を去り、翌天保4年(1833年)9月25日には章広も世を去ったのでした。

何だか父親に引きずり込まれたようにも感じられ、破天荒な父にあの世でも振り回されているのかも知れませんね。

終わりに

今回は松前章広について、その生涯をたどってきました。最期まで、破天荒すぎる父親に振り回され続けた人生と言えるでしょう。

大河ドラマの本編には登場しなさそうですが、ワンチャン出てくるor言及されるかも知れません。

もし登場するなら誰がキャスティングされるのか、考えてみるのも楽しいですね!

※参考文献:

  • 新藤透『北海道戦国史と松前氏』洋泉社、2016年2月
 

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