江戸時代、人々が「無頼者」の世界に足を踏み入れる理由はさまざまでしたが、ゴロツキ集団をまとめるのは容易ではありません。
そこで取り入れられたのが武士道の精神だったというのが、多くの研究者や知識人の一致した見解です。
例えば明治・大正時代の国粋主義者である杉浦重剛は、「日本人は生まれながらに大和魂を持つが、その魂が武士に顕れれば武士道、町人に顕れれば侠客道だ」と述べています。
そもそも侠客とは「弱きを助け、強きを挫く」という任侠の精神を有する者たちを指す言葉です。古代中国の春秋時代に生まれたとされ、漢の初代皇帝・劉邦も任使の徒だったといわれています。
歴史書の『史記』には「遊侠列伝」という侠客を紹介する項があり、著者の司馬遷は「(遊侠は)法を破るものの、行動が勇猛果敢で、約束したことは必ず守り、困っている者のために命をかける」と定義しています。
古代中国だろうと江戸時代だろうと、庶民はこうした心意気を持つヒーローを求めていたのでしょう。
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受け継がれた町火消の精神
彼ら無頼者が庶民にも人気だったのは、彼らが武家を頂点とする封建体制に反発するアウトローな精神を持っていたからです。
ところが、侠客の生き方の根底には、彼らが嫌っていた武士たちの精神性があったことになります。
任侠道と武士道は一見かけ離れているように見えますが、実は近いところにあり、「無頼者は武士の倫理的継承者である」という見方もある程です。
こうした無頼者の精神性は、江戸時代の町火消がルーツともいわれています。
町火消はそれぞれに本業を持ち、火事が起きたら火消として消火活動にあたりました。命懸けの現場に彼らが立ち向かったのは、「弱きを助け、強きを挫く」という任侠の精神性を持ち合わせていたからです。
そんなこともあって、火災に立ち向かう町火消は江戸のヒーローとして称えられ、人気を集めていました。
