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大学山岳部・ワンダーフォーゲル部の歴史を紐解く!その成り立ちと衰退は日本のアルピニズム史と共にあった

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「ワンダーフォーゲル」の台頭と衰退

戦争で停滞していた学生登山は戦後に再興します。しかし、その様相は戦前とは異なっていました。

50年代以降、多くの学生が山岳部ではなくワンダーフォーゲル(以下、ワンゲル)部で山を楽しむようになったのです。

よって、ワンダーフォーゲル部の創部は戦後の50~60年代が圧倒的に多いです。

大学で初めてワンゲル部ができたのは1935(昭和10)年の立教大学と慶大学で、同時期に明治大学でも設立されました。

戦後になると、国の青少年育成運動を受けてキャンプやユースホステルなどのレクリエーションが流行し、その流れを受けて全国の大学にワンゲル部が創設され人気を集めます。

60年代には大幅な部員増加が始まり、大学によっては100人を超える時期が続きました。

一方、山岳部では60年代半ば、すでに「部員数の減少」が議論されるようになります。その原因については「山岳部へ入らなくとも山に登れる」「大学山岳部イコール遭難」などのイメージが強かったためです。

その後、全国の大学では体育会系の部員数が減少し、同好会やサークルにの現役メンバー人が集まる時代へと移っていきます。

この流れでワンゲル部の部員も減っていきましたが、それでも毎年数十人が所属して安定し活動を展開していました。

大学山岳部はといえば、70年代以降「低迷」「凋落」「衰退」などの言葉が決まり文句のように言われ続けるようになります。

実際、多くの山岳部で部員減少が常態化し、国内外のバリエーションルートの初登攀など先駆的な記録の多くは社会人山岳会のクライマーによって成されていきました。

3ページ目 鍛錬の場として

 

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