21歳 悲劇の死別。幕末、皇女和宮が一途に愛した徳川家茂に詠んだ哀しくも美しい和歌に涙
幕末の動乱の最中に江戸幕府14代将軍に就任した徳川家茂。彼の正室が皇女和宮親子内親王であることは有名です。
出会うはずもなかった2人が結婚したきっかけは井伊大老の暗殺後、老中に就任した安藤信正らが提唱した「公武合体政策」。ペリー来航以来権威が失墜してしまった幕府は、朝廷と仲良しアピールで威信回復したい狙いがありました。
その象徴として、江戸幕府将軍家茂と孝明天皇の妹である和宮、弱冠17歳の2人が結婚することになったのです。
家茂は教科書でこそ取り上げられることは少ないですが、誠実で責任感のある好青年で、勝海舟も惚れ込むような立派な将軍でした。彼がプライドの高い和宮を尊重して、まめに手紙を書いたり、お土産をプレゼントしたり温良篤厚に接したので、和宮も心を開き、周囲も認める相思相愛の夫婦になりました。
成人した歴代将軍の中で、側室を1人も持たずに正室1人を大切にしたのは家茂だけでした。ちなみに和宮は想像妊娠するくらい家茂に惚れ込んでいたようです。
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そんな2人に悲劇が訪れます。
1866年7月20日。家茂が21歳で第2次長州征伐のために大阪まで遠征した際に、脚気で亡くなってしまうのです。わずか4年の結婚生活でした。行動力のある家茂は江戸幕府将軍としては異例で3度も遠征に出掛けていたので、一緒に過ごせた時間はさらに短かいものでした。
やがて大坂城から江戸城の和宮のもとに、家茂の遺体と、なんとお土産にお願いしていた西陣織が届きました。家茂は具合の悪い中、和宮へのお土産だけは忘れず先に買っておいてくれたのです。
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