江戸の警察官「与力」と「同心」八丁堀七不思議にみる彼らの独特の暮らしぶりとは【後編】

歴史 好き太郎

「女湯の刀掛け」

【前編】では、江戸時代の町奉行所の与力同心の役割や、意外と裕福だった彼らの暮らしを支えた役得について説明しました。

江戸の警察官「与力」と「同心」八丁堀七不思議にみる彼らの独特の暮らしぶりとは【前編】

役得によって裕福だった与力江戸時代の治安は、町奉行所の与力と同心が支えていました。彼らは、現代の警察に相当する役割を果たし、江戸の街の秩序を守っていたのです。そして彼らの生活は、武士の格式…

【後編】では、同心が担った警察機能の具体的な業務などについて詳しく見ていきましょう。

『鬼平犯科帳』では同心・与力が組屋敷に住んでいる様子が描かれていますが、町奉行所でも同様の組屋敷があります。時代劇でもたびたび登場する八丁堀です。

江戸の街には、その地域ごとの特色を表すものとしてさまざまな七不思議がつくられましたが、八丁堀にも七不思議がありました。その中には、与力と同心の日常がよく分かるものもあります。

例えば「女湯の刀掛け」です。刀掛けは風呂に入る際に刀を置く場所であるため、本来なら女湯には無いはずですが、八丁堀の銭湯の女湯にはこの刀掛けがありました。

江戸の街には多くの銭湯があり、江戸っ子たちに人気でした。男湯は朝から混み合いますが、女湯が混むのは昼から夜にかけて。

そこで、八丁堀の銭湯では与力・同心に朝の女湯を開放し、彼らが出勤前にゆったり風呂に入れるようにしたのです。

また与力・同心の女湯での朝湯は、男湯の噂話を聞くためという意味合いもありました。

湯上がりには床屋で、丁髷部分が細く髪の毛を一直線に剃った、小銀杏と呼ばれる八丁堀風の独特な髷を結います。こうした粋な姿から、与力・同心は洒落者として、相撲取り・火消しとともに江戸三男と呼ばれるようになりました。

3ページ目 旦那であって殿様にあらず

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