「藩札(はんさつ)」の目的は財政再建
江戸時代の日本には完全に統一された貨幣制度が存在しておらず、地域ごとの経済が独自の形で発展していました。
その中で、藩札は地域通貨として藩の経済を支える一方、信用の脆さも露呈しました。
明治の金融改革で日本銀行の設立や金本位制の確立に至った流れは、こうした藩札の課題を克服する一歩でもあったと言えます。そんな藩札の歴史と意義について解説しましょう。
江戸時代には全国に流通する統一された紙幣はなく、ただし商人が発行した紙幣の一種である羽書と呼ばれるものがありました。
これは商人が、金貨や銀貨などの高額な貨幣のお釣りのかわりに渡していた証書で、銀貨との交換を保証するものでした。
いわば商売のために私的につくられた「私札」で、似たようなものは発行主体により「公家札」「寺社札」などと呼ばれました。
このうち、大名がその領地(藩)内で流通させたのが藩札です。これが初めて発行されたのは17世紀の半ば頃でした。
藩札発行のおもな目的は、藩内の貸幣不足の解消と、窮乏する藩財政の立て直しにありました。
