
実は歌川国芳の画才は娘に受け継がれていた。幕末に女流絵師として活躍した2人の娘たちの生涯
江戸後期から幕末にかけて活躍した浮世絵師・歌川国芳(うたがわ くによし。井草芳三郎)。数々の作品が当世を風靡し、今日まで伝わっています。
そんな国芳には娘が二人おり、それぞれ女流浮世絵師として活躍しました。今回は歌川国芳の娘たちについて、その生涯をたどってみましょう。
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歌川国芳の長女・トリ
長女のトリは天保10年(1839年)に誕生、鳥または登鯉・登里(とり)などと呼ばれました。
酉年生まれだからトリなのかと思いきや、天保10年(1839年)は亥年なので干支の関係ではないようです。
父親に弟子入りして画号を歌川芳鳥女(よしとりじょ)、または一燕斎(いちえんさい)と称しました。
浮世絵師としての活動は嘉永(1848〜1854年)から文久(1861〜1864年)ごろにかけて行われ、読本の挿絵や錦絵などを手がけています。
例えば双六「甲斐名所すこ六」には「国芳女十才とり女画(国芳の娘・10歳トリ画)」と落款があり、嘉永元年(1848年)には浮世絵師として活動していました。
ちなみに「甲斐名所すこ六」は父国芳や門人の歌川芳丸、歌川芳藤らとの合作となっており、みんなで楽しく描いたのかも知れませんね。
他にも錦絵では「山海愛度図会(さんかいめでたいずえ)」シリーズや「武者人形組立ノ図」などを手がけています。
やがて日本橋新場にある魚屋・茶屋伊之助(ちゃや いのすけ)に嫁ぎましたが、若くして世を去ってしまいました。
没年や子供の有無などについては、詳しく分かっていません。
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