文学少女が遊郭へ…大正時代、吉原遊郭に売られた遊女「春駒花魁」脱走〜救済〜失踪の記録:2ページ目
自由廃業そして結婚
足抜した春駒はあてもなく逃げ出した訳ではなく、かねて憧れていた女流歌人・柳原白蓮(やなぎわら びゃくれん)の元へ逃げ込み、保護されたのです。ここでも春駒を救ったのは文学のつながりだったと言えるでしょう。
春駒は柳原夫妻や労働総同盟(ナショナルセンター)の岩内善作(いわうち ぜんさく)らに支援を受け、遊女の自由廃業が認められました。
当時は現代以上にブラック企業が横行していたことから、労働組合によって多くの労働者が奴隷的搾取から解放されたことでしょう。
この大正15年(1926年。昭和元年)に春駒は自身の日記『光明に芽ぐむ日』を出版。長金花楼はじめ多くの遊女たちが受けている仕打ちの数々を、白日の下にさらしたのでした。
春駒は自由廃業に際して。手助けしてくれた外務省翻訳官補の西野哲太郎(にしの てつたろう)と親交を深め、やがて結婚します。
昭和2年(1927年)には『春駒日記』も出版し、辛い過去を昇華させました。
しかし当時は遊女や吉原者に対する差別も根強く存在しており、そのために西野は外務省から免職されてしまいました(※自ら退職した説も)。
しかし春駒のような遊女たちを解放するため、自由廃業運動を推進。そのため暴力団から追われる身となってしまいます。
暴力団にしてみれば遊女の調達は資金源の一つですから、西野の存在は邪魔でしかありませんでした。
西野については日本の敗戦後(昭和20・1945年以降)、東洋大学の講師を務めたことが確認されています。
一方で春駒については昭和5年(1930年)を最後に消息不明。逃亡中に命を落としたか、あるいは西野と離婚してしまったのかも知れません。
それとも二人で、ひっそりと幸せな暮らしを守り抜いたのでしょうか。
