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文学少女が遊郭へ…大正時代、吉原遊郭に売られた遊女「春駒花魁」脱走〜救済〜失踪の記録

文学少女が遊郭へ…大正時代、吉原遊郭に売られた遊女「春駒花魁」脱走〜救済〜失踪の記録

吉原遊郭には全国各地からさまざまな女性たちが集まり、遊女として春をひさいでいました。

今回は大正時代に吉原遊郭へ売り飛ばされてしまった春駒(はるこま)こと森光子(もり みつこ)を紹介。果たして彼女はどのような女性で、どのような生涯をたどったのでしょうか。

※以下、源氏名の「春駒」で統一します。

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訳もわからず売り飛ばされる

春駒は明治38年(1905年)、貧しい銅工職人の娘として群馬県高崎市で誕生しました。

3人兄弟の長女で、幼いころから文学が好きだったそうです。

14歳で高等小学校を卒業した春駒は、幼いながらに家計を支えたことでしょうが、春駒が19歳となった大正13年(1924年)に父親が亡くなってしまいます。

父親は生活苦によるストレスからか深酒をしており、飲んだくれたことで多額の借金を残していました。

そこで春駒は長女として借金を返済するため、吉原遊郭へ奉公に出ることを決意します

しかしまさか自分が遊女にされるとは思っておらず、半ば騙されるように売り飛ばされてしまったのでした。

吉原遊郭の貸座敷・長金花楼(ちょうきんかろう。金華楼とも)で遊女となった春駒は、文字通りの生き地獄を味わったそうです。

そんな中で春駒の支えとなったのは日記を書くこと。日々の理不尽な仕打ちを書きつづることこそ、彼女にとっての「復讐」でした。

自分が受けた辛さや苦しさを、なかったことにはさせたくない。絶対に白日の下へさらしてやるんだ……そんな春駒の思いに、共感できる方も多いのではないでしょうか。

やがて花魁にまで昇りつめた春駒ですが、売り飛ばされてから2年後の大正15年(1926年。昭和元年)に長金花楼から足抜(脱走)しました。

2ページ目 自由廃業そして結婚

 

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