巫女から従五位へ、そして絞首刑へ!死霊を憑依させる巫女・紀益女とはどんな女性だったのか?:2ページ目
和気王の変で絞首刑に
かくして和気王の寵愛を受けながら人生を謳歌していた紀益女。しかし彼女の春は、永く続きませんでした。
同じ天平神護元年(765年)8月1日、和気王が謀叛を企てたとして処刑されてしまいます。
紀益女も無事では済まず、和気王をそそのかした罪によって、処刑されてしまったのでした。
……紀朝臣益女以巫鬼著……
……又絞益女於綴喜郡松井村。是日……
※『続日本紀』天平神護元年(765年)8月1日(庚申の日、朔ついたち)条
【意訳】紀益女は巫女として死霊を憑依させ(和気王をそそのかし)た。
【意訳】紀益女はこの日、山城国綴喜郡松井村(現代の京都府八幡市)で絞首刑に処される。
絞め殺すことで血の穢れを避けたのか、あるいは少しでも苦しませまい(あるいは苦しめてやろう)という意図があったのかも知れません。
かくして紀益女は、その生涯に幕を下ろしたのです。
