手洗いをしっかりしよう!Japaaan

大奥が“ハーレム化”した本当の理由!〜男色家だった3代将軍・徳川家光と春日局の策

大奥が“ハーレム化”した本当の理由!〜男色家だった3代将軍・徳川家光と春日局の策

今なお時代劇などで多く映像化され、人々の心をとらえ続ける「大奥」。私たちがよく知っているのは将軍専用の巨大ハーレムとして厳格に整備された大奥ですが、もともとは将軍の家族の居住地としての役割のみで、家康の時代にはまだ男子禁制等の厳しい掟はなく、役人の男性も出入り自由でした。

千代田之大奥 歌合 橋本(楊洲)周延画 Wikipedia

では大奥はどうしてハーレム化したのでしょうか?事の発端には、ある1人の悩める将軍がおりました……。

※合わせて読みたい記事↓

男子禁制の結果起こる擬態的な同性愛…遊郭や大奥など「女の園」にあった奇妙な風習とは?

江戸の「女の園」「女の園」と聞いて、あなたならどんなイメージを抱きますか?筆者の周囲にいた男性の中には「選りすぐりの美女がいっぱい」「ハーレム♪」と妄想全開になっていた人もいました。…

5代将軍・徳川綱吉は正妻に殺された!?江戸時代の「大奥」に封印された“開かずの間”の真相とは

大奥には「開かずの間」があり、その部屋にかかわる怪談めいた話があります。そして部屋が開かずの間になった原因は、5代将軍の徳川綱吉が「正妻に殺された」という噂が影響しているのです。※関…

大奥は徳川家光のためにハーレム化した!?

実は今私たちがよく知る大奥のかたちはそもそも、3代将軍・徳川家光(とくがわいえみつ)のために作られたのです。きっかけは家光の結婚でした。

徳川家光(Wikipediaより)

家光は寛永元年(1624)、正室に鷹司孝子を迎え、祝言をあげました。これで天下も安泰、そのうち世継ぎも生まれるだろう…という周囲の期待もよそに、家光は孝子に全く興味を示しませんでした。

興味をしめさないどころか彼女を拒否すらしており、2人の仲は誰が見ても最悪でした。その後も2人の関係が修復されることはなく、しばらく経つと家光は孝子に対し、事実上の離婚を言い渡します。

この事は2人のどちらかに非があったわけではなく、実は家光は男色家だったのです。

無類の男色嗜好。徳川3代将軍・徳川家光の性癖と寵愛されて出世した2人の重臣【前編】

徳川3代将軍「徳川家光(とくがわいえみつ)」は、男色家であったことが知られている。今回は、家光との男色関係をきっかけとして出世に成功したといわれる2人の重臣をご紹介する。男色とは…

家光は、部屋でこっそり女装していた現場を目撃された事もあったそう。世継ぎばかり求められる日々は苦痛だったことでしょう…。

2ページ目 家光の乳母である春日局、動く!

 

RELATED 関連する記事