大河『べらぼう』吉原通いの夫にうんざり!?女性狂歌師として活躍した節松嫁々の生涯をたどる:2ページ目
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夫の遺志を受け継ぐ
寛政10年(1799年)に夫が先立ってしまいますが、それでも狂歌への情熱は冷めることなく、後進たちの養成に尽力します。
中でも弟子の菊丸には朱楽館(あけらかん)、同じく村竹には芬陀利華庵(ふんだりげあん。踏んだり蹴ったり)の号を襲名させました。
しかし晩年は眼病を患って失明してしまい、孤月尼(こげつに)と号します。孤独な月とは、彼女の心細さを表したのでしょうか。
そして文化7年(1810年)1月9日に世を去ったのです。享年66歳。
花ならぬ ながめもよしや 吉野紙(よしのがみ)
この眼にはるの 朧夜の月
【意訳】花(鼻紙)にはならないが、吉野紙(を貼った襖や障子)はとても綺麗で眺めがいい。この盲(めし)いた眼に貼ったら、春の朧月夜が好める(楽しめる)だろうか。
これは節松嫁々が詠んだ辞世の句。目が見えていないはずですが、あるいは少しは見えている状態も盲目と言ったのかも知れません。
節松嫁々・基本データ
- 生没:延享2年(1745年)生~文化7年(1810年)1月9日
- 実名:小宮山まつ
- 通称:小宮山ちか
- 法号:孤月尼
- 職業:狂歌師
- 所属:菅江連
- 伴侶:朱楽菅江(山崎景貫)
- 子女:不明
- 著作:『はなのしをり(編著)』
- 備考:晩年に眼病のため失明
終わりに
今回は夫婦揃って狂歌師として活躍した節松嫁々について、その生涯を駆け足でたどってきました。
夫の吉原遊びが絶えず、家の中はしっちゃかめっちゃかでも、お互い凸凹しながら人生を楽しんでいた様子がうかがえます。
果たしてNHK大河ドラマ「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」には彼女が登場するのでしょうか。
もし登場するなら、キャスティングも楽しみですね!
※参考文献:
- 『日本古典文学大辞典簡約版』岩波書店、1986年12月
- 根岸守信『耳嚢』国立公文書館デジタルアーカイブ
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