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大河『べらぼう』に登場!天明狂歌の立役者・元木網(ジェームス小野田)とは何者?その生涯をたどる

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天明狂歌界を牽引

元木網が狂歌師として歌壇に加わったのは明和6年(1769年)ごろ、妻の智恵内子と共に落栗連を主宰しました。

蜀山人(しょくさんじん。大田南畝)らと共に活躍しますが、自身は天明元年(1781年)に引退。芝西久保土器町(東京都港区)へ転居した後、夫婦で後進たちを指導する形で天明狂歌界をけん引する存在となったのです。

門人には文々舎蟹子丸(ぶんぶんしゃ かにこまる)、馬場金埒(ばばの きんらち)、北静盧(きた せいろ)などがおり、その狂統が受け継がれました。

エピローグ

晩年は飯倉(東京都港区)にある小川平七(おがわ へいしち。娘婿)の邸宅へ引き取られ、のち白銀町(東京都新宿区)にある岸本由豆流(きしもと ゆずる)の邸宅へ移り住みます。剃髪してからは珠阿弥と号しました。

文化4年(1807年)6月20日に智恵内子が先立ち、自身も文化8年(1811年)6月28日に世を去ったのでした。享年88歳の米寿です。

法名は心性院琢誉珠阿弥陀仏。妻と同じ深川万年町の正覚寺(東京都江戸川区)に眠っています。

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