手洗いをしっかりしよう!Japaaan

第45代・聖武天皇の謎すぎ行動「彷徨五年」実は計画的!?優柔不断な人物像をくつがえす最新学説【後編】

第45代・聖武天皇の謎すぎ行動「彷徨五年」実は計画的!?優柔不断な人物像をくつがえす最新学説【後編】:2ページ目

計画性の裏付け

このように、聖武天皇が天平12年(740年)10月に平城京を離れたのは早くから準備された計画だったとする説を有力にしたのは、今世紀に入り、大津市で発掘された「木津頓宮」跡とみられる遺構です。

津頓宮は文献上、聖武天皇が同年末に恭仁の地に到着する直前に滞在した場所です。滞在期間はわずか3泊でしたが、格式の高い大規模な建物だったことが確認されています。

その規模からみて、この施設の着工時期は出発よりかなり前のもので、同年春から夏の初め頃だと推測されています。

つまりこの頃には、聖武は全体の旅程や最終目的地の恭仁宮の造営計画も立てていたとみられるのです。

そして広嗣の乱の鎮圧を待たずに出発した理由は、正月を恭仁宮で迎えたかったのではないでしょうか。

このように見ていくと、聖武の5年間の動きについて「彷徨」という言葉で一括してとらえるのは適切ではなかったと言えるでしょう。

聖武天皇は自らの考えに基づいて行動した時もあれば、さまざまな障害によって思い通りにいかないこともあり、両方のせめぎあいの結果としてみる必要があるのです。

参考資料:中央公論新社『歴史と人物20-再発見!日本史最新研究が明かす「意外な真実」』宝島社(2024/10/7)
画像:photoAC,Wikipedia

 

RELATED 関連する記事