第45代・聖武天皇の謎すぎ行動「彷徨五年」実は計画的!?優柔不断な人物像をくつがえす最新学説【前編】:2ページ目
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壬申の乱の進軍ルートとの類似
着目すべきは、聖武天皇の彷徨したコースが、壬申の乱(672年)で大海人皇子(後の天武天皇)が進軍したルートとほぼ重なり、出発日の干支も皇子の吉野での挙兵と一致する点です。
天武は律令制度による中央集権国家作りを強力に進めた人物で、聖武天皇の曽祖父にあたります。
このことから、聖武は当初から曽祖父の足跡の追体験を意図しており、広嗣の乱の前から出発日も含めて検討していたことはまず間違いないとする研究者もいます。
その背景には天然痘の大流行や天候不順による凶作、貴族の抗争などで、世情が乱れていることがありました。
そこで彼は天武の足跡をたどって原点回帰し、新たな土地での大仏造立を掲げることで、官人や民衆の間で一体感を醸成する狙いがあったと考えられるのです。
これについての、さらに詳細な最新学説については【後編】で説明します。
参考資料:中央公論新社『歴史と人物20-再発見!日本史最新研究が明かす「意外な真実」』宝島社(2024/10/7)
画像:photoAC,Wikipedia
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