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実は勘違いによる暴走!?江戸時代「大塩平八郎の乱」は正義どころか民衆にとって大迷惑の災害だった【前編】

実は勘違いによる暴走!?江戸時代「大塩平八郎の乱」は正義どころか民衆にとって大迷惑の災害だった【前編】:2ページ目

町奉行の飢饉対策

しかし東北大の平川新名誉教授によると、江戸に送られた米は、実は大坂のライバルにあたる兵庫の市場の米だったそうです。

町奉行は買い付けに来た江戸の商人へ協力することを禁じ、米取引の不正禁止相場の抑制など実効性のある対策を採っていました。

平川氏は「幕府の下部機関の奉行所は、大坂の食を守りつつ、江戸の米を確保する必要があった。OBにすぎない大塩は、実態が見えていなかったのでは」と推測しています。

つまり、前述のように大塩が「町奉行が大坂を見捨てた」と怒ったのは誤解だったのかも知れず、正義感で突っ走ったのに実は見当違いだったという可能性すらあるのです。

大塩の疑惑と矛盾

それどころか、大塩には大坂の米を水戸に密輸した疑いがあるともいいます。

水戸藩主の側近だった藤田東湖の日記によると、同藩は大坂で買い付けた米を浦賀番所の通行税を支払わず、密輸していました。

それについて、史料『三川雑記』には請負人に大塩の名があり、別の史料にも同様に彼が関わったという噂が記されているのです。

もしもこの関与が事実なら、むしろ大塩は大坂の米不足を助長していたことになります。窮民救済を掲げた彼が、実は混乱の一因だったかもしれないというのはびっくりするような話ですね。

ここで前編を一旦区切りますが、大塩の蜂起はどのような影響を及ぼしたのか、またそれに対する後世の評価はどのように変わっていったのかは【後編】で詳しく見ていきましょう。

【後編】の記事はこちら↓

実は勘違いによる暴走!?江戸時代「大塩平八郎の乱」は正義どころか民衆にとって大迷惑の災害だった【後編】

【前編】では大塩平八郎の蜂起とその背景について説明しました。[insert_post id=242282]【後編】では、この「大塩平八郎の乱」はどのような影響を及ぼしたのか、またそれに…

参考資料:中央公論新社『歴史と人物20-再発見!日本史 最新研究が明かす「意外な真実」』宝島社 (2024/10/7)
画像:photoAC,Wikipedia

 

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