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戦国時代、最も落城回数が多かったのは織田信長の居城だった「岐阜城」!名城はなぜ頻繁に落城したのか?

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落城の理由②狙われやすかった

他にも、岐阜城が落城しやすかった理由としてターゲットにされやすかったということも外せません。

これは城の直接的な防御力には関係ありせんが、岐阜の周辺は交通の要衝でした。そのため交通の安全を確保するためには必ず落とすか無力化する必要があったのです。

そのため、付近を通る軍勢に狙われることも多くありました。

そして、岐阜城は周辺が肥沃な濃尾平野であるため、織田のような大勢力が生まれやすかったことも挙げられます。

岐阜を含む濃尾平野は、当時としても農産業が発展しやすく、また伊勢湾の海運もあることから大きな勢力が生まれやすかったのです。

大きな勢力が存在すれば、必然的に戦う回数も増えます。となると、戦う回数が少ない城よりは落城する確率は高くなるわけです。

こうして見ていくと、岐阜城がしょっちゅう落城していたのは偶然ではないことが分かりますね。

参考資料:歴史の謎研究会『舞台裏から歴史を読む 雑学で日本全史』2022年、株式会社青春出版社
画像:photoAC,Wikipedia

 

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