110歳まで描かせてくれ!浮世絵に生きた画狂・葛飾北斎の恐るべき執念を見よ【大河べらぼう】:2ページ目
110歳まで描き続けたい!北斎の悲痛な叫び
……北斎が『富嶽百景』の初版跋文を書いたのは75歳。つい数年前までの作品は、取るに足りないものだと断言しています。
ちなみに50歳(半百)ごろからデビューしたかのように言っていますが、実際には20歳となった安永8年(1779年)に処女作「瀬川菊之丞 正宗娘おれん」や「岩井半四郎 かしく」を発表。それからたくさんの浮世絵を世に送り出しました。
それらも自分の作と名乗れるようなもんじゃないと言うのだから、どれだけ高いハードルを自らに課していたのでしょうか。
デビュー?(本人発表)から20余年、73歳で生き物の身体構造や植物の姿が描けるように。ようやく少しはマシになってきた……と当人は思っていたようです。
ここから先は未来予測になりまして、86歳で一人前になり、90歳で奥義にたどり着く見通しを立てました。
そして100歳でとうとう神妙の域に達し、110歳まで生きられたら、その一筆々々がまるで生きているように生命を宿すはずだと言います。
我が手でその奇跡を成し遂げたい。いや、自分なら必ずできる。やって見せる。
だからどうか、どうか110まで生かして欲しい。そうでなくては描かずに死ねるか!そんな執念が伝わってきます。
「んなこと言ったってお前さん、110歳なんてそうそう生きられるモンじゃないよ。とうとうボケちまったのかい」
人々はきっとバカにして笑ったことでしょう。
でも、北斎は大真面目の卍でした。
「うるせぇ、嘘でもホラでもねぇぞ。俺はできる。いや、やるんだ。後は寿命だけが頼みなんだ……」
世に大真面目ほど滑稽で、恐ろしくて、そして胸の痛くなる存在はいません。
絵に対するあくなき執念を燃やし続けた北斎を、いま誰が笑えるのでしょうか。
