なぜそんなことを!?女帝・称徳天皇が側近に下した刑罰はなんと”汚い名前への強制改名”だった

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罪人に下される刑罰には、昔から様々なものがありました。よく知られているものには武士の切腹を含む死罪の他、流罪(島流し)、蟄居などがありました。

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江戸時代には火あぶりや鋸引き(のこぎりびき)などもあったというから、恐ろしいですね。

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しかし奈良時代に貴族・和気清麻呂(わけのきよまろ)に下された罰は、ある意味それと同じか、それ以上に恐ろしいものでした。

なぜそうなった!?なんと名前を「きたなまろ」に!

和気清麻呂に下された刑罰は、大隅国への流罪に加え、名前を「和気清麻呂」から「別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)」といういかにも汚そうな名前に改名することでした。

当時の天皇は、僧侶の道鏡を天皇に即位させようとしたことで知られる女帝・称徳天皇(孝謙天皇)。2019年2月現在、日本史上唯一の「皇太子を経て即位した女帝」としても知られています。

Wikipedia/孝謙天皇

和気清麻呂は、その称徳天皇の側近だった尼僧・法均尼こと和気広虫の弟でした。事の発端は、称徳天皇が「朕が師」と信頼し、寵愛していた僧侶・道鏡に「法王」という位を新設して与えたことでした。

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その道鏡に気に入られて出世をと目論んだのか、はたまた天皇と同等の権力を得た道鏡が天皇の位をも狙って嘘をつかせたのかは分かりませんが…大宰府の主神(かんづかさ)を務めていた習宜阿曾麻呂(すげのあそまろ)が「宇佐八幡神の神託」として、こんなことを天皇に奏上しました。

「道鏡を天皇にすれば、天下太平となる」

道鏡を次の天皇にしたいと望んでいた称徳天皇は、神託が本物かどうかを側近の尼僧・法均尼に確かめに行かせようとしましたが、病弱な法均に長旅は無理だったため、その弟の和気清麻呂が宇佐八幡宮へ行くこととなりました……。

3ページ目 宇佐の大神からのお告げはなんと!……

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