罪人に下される刑罰には、昔から様々なものがありました。よく知られているものには武士の切腹を含む死罪の他、流罪(島流し)、蟄居などがありました。
日本で最初の島流しは5世紀。あらためて知りたい「島流し・流罪」の歴史
日本史用語、特に刑罰の言葉としてインパクトたっぷりなのが「島流し」ではないでしょうか。「罪を犯した人が遠い島に流される刑でしょ?」とイメージする方が多いと思いますが、いつごろから島流しがあったか、ご存…
江戸時代には火あぶりや鋸引き(のこぎりびき)などもあったというから、恐ろしいですね。
リアルに怖い江戸時代!火あぶり、ノコギリ刑…江戸時代の刑罰は明らかに残酷すぎた
明治初期に日本を訪れたアメリカ人・グリフィスの手記にこんな一幕があります。「品川にさしかかる前、道路横の田んぼの畦にほんの少し盛り上った草の生えている小さな空き地がある。見ると高さ6フィート…
しかし奈良時代に貴族・和気清麻呂(わけのきよまろ)に下された罰は、ある意味それと同じか、それ以上に恐ろしいものでした。
なぜそうなった!?なんと名前を「きたなまろ」に!
和気清麻呂に下された刑罰は、大隅国への流罪に加え、名前を「和気清麻呂」から「別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)」といういかにも汚そうな名前に改名することでした。
当時の天皇は、僧侶の道鏡を天皇に即位させようとしたことで知られる女帝・称徳天皇(孝謙天皇)。2019年2月現在、日本史上唯一の「皇太子を経て即位した女帝」としても知られています。
和気清麻呂は、その称徳天皇の側近だった尼僧・法均尼こと和気広虫の弟でした。事の発端は、称徳天皇が「朕が師」と信頼し、寵愛していた僧侶・道鏡に「法王」という位を新設して与えたことでした。
女性天皇と愛人関係に!奈良時代の僧侶「道鏡」の悪評、実はとんだとばっちりだった…
道鏡とはどんな人物か奈良時代の僧侶・道鏡は、天皇の寵愛を利用して皇位簒奪を図った人物として知られています。そのため彼は、権力欲にまみれた朝廷の敵として長年イメージされ続けてきました。彼は女…
その道鏡に気に入られて出世をと目論んだのか、はたまた天皇と同等の権力を得た道鏡が天皇の位をも狙って嘘をつかせたのかは分かりませんが…大宰府の主神(かんづかさ)を務めていた習宜阿曾麻呂(すげのあそまろ)が「宇佐八幡神の神託」として、こんなことを天皇に奏上しました。
「道鏡を天皇にすれば、天下太平となる」
道鏡を次の天皇にしたいと望んでいた称徳天皇は、神託が本物かどうかを側近の尼僧・法均尼に確かめに行かせようとしましたが、病弱な法均に長旅は無理だったため、その弟の和気清麻呂が宇佐八幡宮へ行くこととなりました……。