役者や商人、力士まで!多くの男と関係を持った江戸時代の絶倫すぎる大名の側室・お福の無惨な末路:2ページ目
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幕府の目にとまった結果
お福の性に自由過ぎる行動は尾張徳川家の家臣だけでなく、江戸幕府からも目を付けられます。
そして、宝永2年(1706)に歌舞伎役者・生島新五郎の弟で歌舞伎役者の生島大吉との密会疑惑をかけられたことをきっかけに、江戸の四ツ谷屋敷に蟄居。芸人の出入りには厳しい審査が行われました。
気が狂うまでに男を求めた
お福は蟄居先で誰ともできない不満を解消するように、庭木を使い自慰行為を行いました。しかし、それも長くは続かず、ついには髪を乱しながら、木に登って奇声を発するまで精神状態がおかしくなっていました。
その後も蟄居を解かれることなく、元文2年(1739)に75歳で亡くなりました。
最後に
多くの男性と関係を持ったお福には、人を好きになるストライクゾーンが広かったことがうかがえます。また、出家した年は35歳でした。しかし、それでも引く手あまたの男性と関係を持てたお福の美貌は、当時としては格別だったものだと考えられます。
参考:末國 善己『夜の日本史』
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