蘇我馬子に辱めを与えるため!?なぜ明日香村の「石舞台古墳」には土が盛られていないのか?:2ページ目
権勢をふるった蘇我氏
石舞台古墳は、純粋に古墳として造られた当時の姿をとどめているわけではないということです。この古墳は、古代日本で権勢を振るった蘇我氏への仕返しとして、蘇我氏の滅亡後に破壊されたのではないかと考えられています。
蘇我氏は、蘇我稲目の代に、物部氏と並ぶ二大勢力に発展した豪族です。小学校の日本史でも登場するほどの超有名な一族ですね。
蘇我氏が権勢をふるうようになったのは、用明天皇の没後に勃発した、後継者をめぐる争いでした。
蘇我稲目の子である馬子は、ライバルの豪族・物部氏が擁立しようとした穴穂部皇子を暗殺します。そして、物部守屋を戦いで打ち破り、蘇我氏専制の時代を築きました。
それ以降は、崇峻天皇を暗殺したり(蘇我馬子は日本史上唯一、天皇を暗殺した人物でもあります)、新羅に貢ぎ物を催促するために遠征軍を派遣しようとしたり、天皇陵である六御県の一つ葛城県の割譲を推古天皇に迫ったりするなど、権勢をふるい続けました。
重要なポイントは、こうした権力者は、必ず妬みや恨みの感情を向けられるということです。