戦国大名と守護大名の違いは?
戦国時代の戦国大名がそれまでの守護大名と異なるのは、幕府からの自立を志向していたかどうかという点です。
守護大名は、領国の支配に室町幕府の権威を利用していましたが、逆に、戦国大名は室町幕府からの自立を図るために自ら検地を行いました。
検地とは、田畑の面積と収穫量を調査することです。検地の結果から、戦国大名は自らの裁量によって年貢を決定しました。
この検地、当初は土地の所有者が自発的に調査結果を報告するだけのものでしたが、やがて、大名の家臣が奉行として直接的に調査することで、家臣団を掌握していったのです。
また、戦国大名は、必ずしも一国を領有していたわけではありません。
国によって広さは異なっているので、一国のうちのおおむね2郡以上を支配している領主が戦国大名と呼ばれます。このため、1郡程度を支配する領主は一般的には国人(こくじん)と呼ばれ、戦国大名に従属する立場にありました。
この基準に従うと、日本全国でおよそ150家の大名が存在していたことになります。