日本史上唯一、天皇を暗殺させた人物「蘇我馬子」の”独断犯行説”は現代では否定されている:2ページ目
政局に混乱なし
崇峻天皇暗殺において、豪族たちの共同謀議があったという説には、ちゃんとした根拠があります。
それは、崇峻死後の朝廷の反応です。天皇殺害という大事件が起きたにもかかわらず、政局に大きな混乱が生じていないのです。
だいたいこの事件は、暗殺されたその日のうちに崇峻が埋葬され、暗殺からほとんど間を置かずに推古天皇が即位するなど、突発的な事件にしてはやたらと後処理がスムーズなあたりが不自然なのです。
最初から、全体の総意のもとで暗殺が実行されたとしか考えられません。
とはいえ、臣下が結託して天皇を暗殺したと言われても、にわかには信じがたい人も多いでしょう。
しかしこの頃は、天皇は有力豪族の合議制で決まるのが常識であり、一人の権力者がゴリ押ししたからといってそれが通るとは限らなかったのです。
よって崇峻の場合も、蘇我氏の後押しだけでなく有力豪族の合意があったからこそ即位できたと考えるべきで、天皇が豪族たちの意をくまずコントロール不可能になっていたとすれば、暗殺されたとしてもおかしくはありません。