私を一番に愛して!主従を越えて藤原定子に一番の愛情を求めていた清少納言【光る君へ】:2ページ目
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二人の関係は?
清少納言が日ごろから「一番でなくちゃ意味がない」と連呼していたことを受けて、定子がからかったようです。
しかし単にからかうだけなら、愛するなんて重いテーマをぶん投げなくてもよさそうなもの。
このやりとりから、二人が単なる主従を越えた関係にあったことが察せられます。
清少納言が前夫の橘則光(たちばなの のりみつ)と上手く行かなかったのは、こういうことも関係しているのかも知れませんね。
※則光は根っからの体育会系で、機知に富んだ清少納言と相性が悪かったというのが定説。ただし離婚後も交流は続き、むしろ仲はよかったのだとか。男女の関係はよく分からないものです。
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果たして定子は、夫である一条天皇をさしおいて、清少納言をどのように愛してあげたのでしょうか。
定子の崩御後
長保2年(1001年)12月16日に定子が防御すると、清少納言の宮仕えは終わりを告げます。
内裏を去った清少納言の消息は不明、俗説では惨めに暮らしたエピソードが創作されました。
「なけなしの教養をひけらかし、調子に乗った恥知らずの末路はこのザマだ!」
そんな心ない声が聞こえるようですが、実際には息子たちが健在だったため、暮らしには困らなかったでしょう。
没年も不詳、どのような最期を遂げたかも分かりません。
ただ、清少納言が「定子にとって一番でありたい」と愛情を求めた日々は、彼女にとって1番大切な思い出だったのではないでしょうか。
※参考文献:
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