自己犠牲をいとわない英雄の決断!30倍の戦力差を覆した伝説の足軽「鳥居強右衛門」

山内琉夢

「長篠(ながしの)の戦い」は、織田信長と徳川家康の連合軍が戦国最強の武田軍と衝突した戦いです。織田信長が名実ともに天下人となった、歴史でも非常に重要な合戦でした。

今回は、この合戦で最大の功績を残した足軽「鳥居強右衛門(とりいすねえもん)」についてみていきましょう。

長篠城落城の危機

1575年、奥平家が守る長篠城は武田軍に包囲されてしまいます。

武田の軍勢15,000人に対して、味方は僅か500人。なんと戦力差は30倍以上と、絶望的な状況でした。

天下の要害である長篠城は防衛力に長けていましたが、食料も乏しく長期になる籠城戦で勝てる見込みもありません。

当時の長篠城城主も死を覚悟するなか、ひとつの作戦が提案されます。

無謀すぎる作戦

絶対絶命の危機を逆転する一手、それは「敵の包囲を掻い潜り、徳川家康が居る岡崎城まで駆けて援軍を乞う」というものでした。

しかし、長篠城は激流の川と断崖絶壁の崖に囲まれた天然要塞。さらに、大勢の敵軍が潜伏しているため、常に危険がつきまといます。

とはいえ、このままでは城内に敵が流れ込み大量の血が流れることは誰の目にも明らかです。そこで、この役目を買ったのが足軽の「鳥居強右衛門」でした。

城主との約束

作戦決行の前日、鳥居強右衛門は城主と二人で話す場を与えられます。

この場で城主は褒美について尋ねましたが、鳥居強右衛門は褒美を断り、もしもの際に妻や息子を気にかけて欲しいとだけ伝えました。

2ページ目 戦国時代版「走れメロス」

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