安倍晴明のライバル?平安時代、陰陽師として活躍した賀茂光栄とは何者か【光る君へ】:2ページ目
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光栄は父や祖父の賀茂忠行(ただゆき)に劣らぬ陰陽師として知られていました。
しかし父の保憲は、家伝である陰陽道のうち、暦を作る暦道のみを光栄に受け継ぎます。
天文を読んで吉凶を占う天文道については愛弟子である安倍晴明に受け継いだのでした。
「父上は家伝の陰陽道を二派に分けて、無用の諍いを招こうと言うのか」
いくら光栄が訝しがろうと、決定は覆りません。かくして陰陽道の二大流派である安賀両家が誕生します。
もしかしたら、保憲はすべてを安倍晴明に受け継ぎたかったけど、息子の手前で分割したのかも知れませんね。後に賀茂光栄は安倍晴明と争論し、対立していたようです。
そして長和4年(1015年)6月7日に77歳で世を卒したのでした。
終わりに
今回は安倍晴明のライバル?賀茂光栄について、その生涯をたどってきました。
物語の展開上、あえて登場させる必要はないものの、もしかしたら安倍晴明の亡き後に登場する可能性がゼロではないかも知れません。
ワンチャン期待したいですね!
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