徳川3代将軍「徳川家光(とくがわいえみつ)」は、男色家であったことが知られている。
今回は、家光との男色関係をきっかけとして出世に成功したといわれる2人の重臣をご紹介する。
男色とは
「男色」とは男性同士の性愛を指す。日本における男色の歴史は古く、奈良時代には広く行われていた。当初、貴族や公家を中心に浸透した男色は、時代と共に武士社会にも及び、鎌倉・室町時代をへて江戸前期には全盛期を迎えた。
武士の間に男色が浸透した理由は、戦場に女性を連れて行けなかった事や、身の回りの世話をする小姓の存在が上げられており、実際に男色関係を持つ者たちは主従関係にある場合が多かった。
愛し合う江戸時代の武士たち…衆道(男色)の心得とは何か?武士道の教範『葉隠』かく語りき
衆道(男色)は武士の心得。古来そのように伝えられてきました。男性同士の愛情は、本能的な欲求や生殖という実利面を求める男女の性愛と異なり、純粋なものとされたのでしょう。また心身を交えるこ…
家光の男色趣向
歴代の徳川将軍の中にも男色家は多く、中でも3代将軍・家光の男色好みは群を抜いていたとされる。若年時の家光は女性にまったく興味を示さなかった。
地位の高い武士や大名にはお付きの家臣があり、中でも身近に控え身辺の世話をする「小姓(こしょう)」と男色関係に発展する事例が多いとされた時代にあって、家光も例外ではなく、気に入った小姓と男色関係にあった。
1616年には60名以上の少年が小姓として家光家臣団を形成しており、家光と男色関係にあったことが伺える。