実はいまだ不明「紫式部はいつ生まれたのか?」さまざまな学説と大河ドラマ『光る君へ』の設定検証【後編】:2ページ目
今井源衛の「970年説」
しかし、さらに他の説もあります。『紫式部』や『源氏物語の研究』などで有名な国文学者・今井源衛は、紫式部が宮中のことなどを記した『紫式部日記』からヒントを得ました。
『紫式部日記』には、「いたうこれより老いぼれて、はた目暗うて経読まれず……」という一文があります。これは現代語に訳すと「ひどく今より老いぼれては、目も悪くなってお経も読めず……」という意味です。
今井はこのことから、紫式部はこれを書いた時点で老眼だったと推理しました。そこで、少なくともこの時には41歳以上にはなっていたのではないか、と述べています。
そこで、1010年マイナス41で969、すなわち紫式部は970年生まれだとします。この説に従って考えると、藤原惟規は式部より4つ下の弟だったことになります。