天下分け目の関ヶ原合戦(慶長5・1600年9月15日)を制して豊臣政権内における地位を磐石なものとした徳川家康。
しかし家康はこの時、還暦に迫る高齢であり、いつ亡くなってもおかしくありませんでした。
そこで取り急ぎ、後継者をきめるために重臣たちを招集します。果たして徳川の家督を、誰に継がせたものでしょうか。
招集された重臣たち
……関原の役すでに終て大久保治部大輔忠隣。本多佐渡守正信。井伊兵部少輔直政。本多中務大輔忠勝。平岩主計頭親吉の人々をめし。我男子あまたもてるが。いづれにか家国を譲るべき。汝等おもふ所をつゝまず申せとの仰なり。……
※『東照宮御実紀附録』巻十一「家康議世子」
「さて、皆に集まってもらったのは他でもない。わしの跡継ぎを誰にしたものか、おのおの忌憚なく意見せよ」
家康に呼ばれたのはこちらの顔ぶれ。
- 大久保忠隣(治部大輔)
- 本多正信(佐渡守)
- 井伊直政(兵部少輔)
- 本多忠勝(中務大輔)
- 平岩親吉(主計頭)
さて、それぞれ誰を推すのでしようか。