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日露戦争も乗り切った大宰相・桂太郎!その卓越した手腕と悲劇的最期【後編】

日露戦争も乗り切った大宰相・桂太郎!その卓越した手腕と悲劇的最期【後編】:3ページ目

無念の退陣と逝去

しかし、桂もただ退陣したわけではありません。前述の第一次護憲運動によって政党内閣からの非難を浴びたことで、政党の必要性を痛感した桂は、第三次内閣発足後に政友会に対抗する新党設立を考えていました。

しかし「政党嫌い」の元老・山縣有朋がこれを許さなかったのです。

桂はここで抵抗を押し切り、大隈重信と協力して新政党を組織しようとしますが間に合わず、志半ばでの退陣となったのでした。

彼は本当は、政党政治の中で、陸軍や官僚機構を現実的な路線へ導く確かな構想を持っていたことが分かっています。

そして退陣から八か月後の10月10日に、桂は胃がんで死去しました。享年67歳。会葬者は数千人にのぼり、なぜか彼を護憲運動で追い込んだ民衆も押し寄せたといいます。ちなみに彼の新党構想は、死後、立憲同志会という形で1913年12月に結実しました。

こうした経緯もあり、桂太郎は現在も「憲法に違反した政治家」のイメージで語られることが多いです。しかし実際には日露戦争を乗り切って社会不安の払拭に努め、巧みな方法で政権維持を果たした卓越した手腕の政治家だったと言えるでしょう。

その在任期間の長さが最近まで破られることがなかったのは、決して伊達ではなかったのです。

参考資料
八幡和郎『歴代総理の通信簿』2006年、PHP新書
宇治敏彦/編『首相列伝』2001年、東京書籍
サプライズBOOK『総理大臣全62人の評価と功績』2020年

 

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