手洗いをしっかりしよう!Japaaan

これぞ武士ジョーク?低身長をバカにされた水野監物の答えがこちら【葉隠】

これぞ武士ジョーク?低身長をバカにされた水野監物の答えがこちら【葉隠】

凸凹コンビだった?水野監物と松平伊豆守

七四 水野監物殿へ松平伊豆守殿申され候は、「御自分は御用立つ人に候。惜しき事は、勢がちいさく候。」と申され候。監物返詞に、「その通りに候。世の中が思ふ様になきものに候。御自分の首を切つて、我等が足の下につぎ候へば、勢が高くなるべく候へども、力及ばざる事に候。」と申され候由。

※『葉隠聞書』第十一巻

以上、水野監物と松平伊豆守のエピソードを紹介しました。せっかくなので二人の略歴も紹介しましょう。

水野忠善は慶長17年(1612年)生まれ。第2代将軍・徳川秀忠から第4代・徳川家綱まで三代にわたって仕え、三川岡崎藩5万石を治めました。延宝4年(1676年)8月29日、65歳で亡くなりました。

いっぽう松平信綱は慶長元年(1596年)10月30日生まれ。前述の通り家光の小姓として仕え、島原の乱や鎖国体制の整備などに腕を振るいます。老中首座として幕政を統括し、寛文2年(1662年)3月16日に67歳で世を去ったのでした。

松平伊豆守の身長についてはよく分かりませんが、もしかすると凸凹コンビだったのかも知れません。そもそも親しくもない相手に身長ネタをぶち込むような「知恵伊豆」でもなし、お互いある程度は気心も知れていたのでしょう。

ちょっと軽い感じの伊豆守と、いかにも質実剛健な風格の監物。二人のエピソードが他にもあったら、また紹介したいと思います。

※参考文献:

  • 古川哲史ら校訂『葉隠 下』岩波文庫、2011年6月
 

RELATED 関連する記事