幕末三大新宗教のひとつ「黒住教」の開祖となった神道家・黒住宗忠とは何者か:2ページ目
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感謝の心に胸が満たされた瞬間、太陽が宗忠の口に飛び込んできたといいます。この不思議な体験を、宗忠は後に「天命直授(てんめいじきじゅ)」と呼びました。
太陽の化身である天照大御神(アマテラスオオミカミ)と一体になったことを感じ、すっかり病も全快した宗忠は、人の病を治す不思議な力を授かったと言います。
陽気に努めることで太陽の霊徳を授かり、幸せに生きられるとするシンプルな教えが人気を呼び、宗忠の影響力は西日本に幅広く及びました。
そして嘉永3年(1850年)2月25日に71歳で昇天するまで、多くの人々を救済したと言います。
エピローグ
宗忠が昇天すると、安政3年(1856年)3月8日に朝廷より宗忠大明神(むねただだいみょうじん)の神号が下賜され、文久2年(1862年)には京都神楽岡に宗忠を祀る宗忠神社が創建されました。
ストレートに自分の名前がつけられた神社って、宗忠当人にしてみれば面映ゆいかも知れませんね。
その後も人々によって崇敬され、100年以上の歳月を越えて宗忠の遺徳を今日に伝えています。
黒住教の教義や歴史などについても、また改めて調べて紹介したいですね。
※参考:
- 新宗教研究会『図解 新宗教ガイド』九天社、2006年1月
- 中矢伸一『神仕組み 日月神示 完全ガイド&アップデート』徳間書店、2022年11月
- 京都 神楽岡 宗忠神社公式ホームページ
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