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同時多発!数時間でハイ終了?「天下分け目」関ヶ原の戦いの意外な実態とは【前編】

同時多発!数時間でハイ終了?「天下分け目」関ヶ原の戦いの意外な実態とは【前編】:2ページ目

反家康連合の結成

動きがあったのは、家康が会津に出陣した直後でした。五奉行のうち石田三成・増田長盛・前田玄以たちが中心となり反家康連合を結成すると、家康の弾劾状を各地の大名に送ったのです。

これに呼応し、島津義弘・毛利輝元・宇喜多秀家・小早川秀秋が大阪へ集合。もちろん上杉景勝もこれに加わります。

この動向を知った家康は、上杉討伐を中止しました。7月26日にUターンして、東国の諸大名とともに三成討伐に向けて動き始めます。

しかしこの時、反家康連合は既に伏見城を攻め落としていました。この後の経緯と、関ヶ原の戦いの実態などについては【後編】で解説します。

【後編】の記事はこちらから

参考資料
『オールカラー図解 流れがわかる戦国史』かみゆ歴史編集部・2022

 

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