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熟練の老将・柴田勝家はなぜ敗れたか?「賤ケ岳の戦い」の羽柴秀吉の知略を探る

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老将、知将に敗れる

さらに、今度は信孝が岐阜で挙兵して秀吉に対抗し、秀吉は信孝討伐のために動き、するとその間に勝家や家臣の佐久間盛政に大岩山砦を攻めさせて岩崎山砦の高山右近も破らせて……と、まるで将棋のような攻め合いに発展します。

しかしここで秀吉は、近江北部戦線での敗北の報せを受けて、約50キロの道のりをたった5時間で引き返して佐久間盛政を攻める美濃大返しという荒業をやってのけます。

このあたりから、勝家軍の勢いに陰りが見えてきました。盛政は賤ケ岳まで撤退したあたりで、前田利家が秀吉方に寝返ったのです。これが勝家側にとっては大きな痛手でした。

あとは秀吉軍が破竹の勢いで勝家を破っていきます。盛政軍に続いて勝家軍本隊を破り、勝家は本拠地である北ノ庄へと敗走。秀吉はさらにそれを追撃し、北ノ庄城で勝家と妻のお市は自害するに至ります。

こうして見ると、賤ケ岳の戦いでの秀吉の「大返し」や、前田利家の裏切りなどが大きな痛手となって、柴田勝家は滅ぼされたことが分かります。

彼は歴戦の老将でしたが、狡知に長けた秀吉には敵わなかったのです。

参考資料
『オールカラー図解 流れがわかる戦国史』かみゆ歴史編集部・2022年

 

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