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武士は食わねど高楊枝…武士道バイブル『葉隠』が説く、あるべき給与の使い方

武士は食わねど高楊枝…武士道バイブル『葉隠』が説く、あるべき給与の使い方:2ページ目

「武士の奉公は人を多く抱えることに尽きる。どれほど優秀であっても、自分一人だけで何でもかんでもお役に立てるものではない」

「カネはいざとなれば人から借りて用意できないこともないが、いざ人手が必要な時、急に用意はできないだろう。だから普段から人を抱え、大切にしておくべきなのだ」

「確かに、人を抱えれば自分の食い扶持は減ってしまう。しかし自分が腹を空かせてでも飯を分けてやってこそ、相手との絆は深まるものだ」

「そういう努力をしてきたからこそ、皆から『神右衛門ほど俸禄を有効に活用している者はなく、彼以上に優秀な家来を多く抱えている』と評価されておる」

……との事です。この善忠とは『葉隠』口述者である山本常朝(じょうちょう/つねとも)の父。その背中を見て、大いに薫陶を受けたことでしょう。

奉公を重ね、その対価として得た俸禄は自分のために使いたいところだけど、あえてこらえて人を抱えるのです。まさに「武士は食わねど高楊枝」の精神ですね。

終わりに

財産は自分の贅沢に浪費するのではなく、少しでも分け合って助け合う精神が、いざ有事の団結力を生みました。主君に対して、ひいては社会のためにこれ以上の奉公はありません。

もちろん現代社会では人を召し抱えることはあまりないので、別の形(例えば寄付や公益事業への投資など)で活かすことが考えられます。

とは言っても現実には生活が苦しい中、なかなか理想通りにはいきませんが、給与を手にしたら今回のエピソードを少しだけ思い出したいものです。

※参考文献:

  • 古川哲史ら校訂『葉隠 上』岩波文庫、2011年1月
 

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