浅井長政はなぜ義兄を裏切ったのか?織田信長が撤退戦に至るまでの経緯と謎を追う【前編】:2ページ目
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朝倉・浅井の挟撃
もともと、朝倉氏というのは将軍家と深い縁がありました。都からも多くの公家が移り住んだ、朝倉氏の本拠地である一乗谷は北の京と呼ばれるほど繁栄していたのです。
こうした中で、当主の朝倉義景は何不自由なく育った身分なのもあってプライドが高く、信長を見下していました。
京から朝倉討伐のために出陣した信長は、そんな朝倉の支城を次々に攻め落としていき、一乗谷に迫ります。そして軍勢を越前金ヶ崎城へ集めたところで、同盟者の一人である浅井長政が裏切った、という報せが届いたのです。
浅井が背後から迫り、正面からは朝倉がおり、前後を挟まれる形で織田軍はたちまち窮地に陥ったのでした。
浅井長政は、信長の妹であるお市の夫です。もともと長政は義兄である信長をとても慕っており、また信長も、かつて長政の強力なライバルだった六角氏を攻める際に協力していたほどです。
よって信長は、この裏切りの報せをすぐには信じることができませんでした。
【後編】では、浅井長政が信長を裏切った理由についての諸説や、その後の歴史の流れを解説します。
参考資料
『オールカラー図解 流れがわかる戦国史』かみゆ歴史編集部・2022年
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