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飯盛女や湯女が遊女役。幕府公認「吉原遊郭」の強敵だった非公認遊郭「岡場所」とは?

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2022/06/17

吉原の強敵・岡場所が出現!

しかし、幕府の許可なく営業する違法な遊女屋が集まった遊郭、つまり岡場所が江戸市中の各地に出現して陰ながら大流行。吉原遊郭の手強い敵となりました。

主な岡場所としては品川・内藤新宿・板橋・千住(江戸四宿)などの宿場の岡場所が有名でした。飯盛女や湯女が遊女の役割も果たしていたのです。

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寛政の改革で回向院前、金龍寺前、浅草門跡前など下町の門前町を中心に55箇所がとりつぶしになった記録があり、どれほど多くの岡場所があったかがよくわかります。

それぞれのメリット・デメリット

江戸時代の幕府公認「遊郭」と非公認「岡場所」の費用や遊び方の違い

江戸時代には「吉原」という大人の遊び場があり、現代でいうところの「ソープランド」のような役割を果たしていました。江戸には、幕府が公認した唯一の遊郭「吉原」と、幕府非公認の遊女屋「岡場所」があり…

吉原は格式も高く、新しい文化の発信地にもなるほど美しい遊女達が揃っていました。店の内装が豪華だったり、遊女の髪飾りや衣装なども豪華で美しい分、玉代が高いほかに、いろいろなしきたりなどがありました。

岡場所のメリットは何と言っても代金の安さ。お金のない江戸の男性も見栄を張らずに気軽に遊べる場所として人気でした。

ただし遊女のレベルは吉原遊郭のように高くなく、言葉遣いや芸、服装のレベルも値段なりだったようです…。

 

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