何か事件や事故が起きたとき、現代において重視されるのは証拠でしょう。
しかし、江戸時代においては、自白重視。犯罪を認定するためには、自白が必須だったと言われています。しかし、そう何でもかんでもみんなが自白するわけではありません。
そこで自白させるために行われていたのが、拷問でした。
今回の記事では、江戸時代のキツすぎる拷問と、それが行われていた理由に迫ってみたいと思います。
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江戸時代の拷問には4種類あった
江戸時代の拷問には、「むち打ち」「石抱(いしだき)」「海老責(えびぜめ)」「釣責(つりぜめ・つるしぜめ)」の4つがありました。
むち打ち
むち打ちは読んで字のごとく、むちで打ちつけるもの。こちらも数回ではなく150~160回(多くが10数回で自白し、50回以上になると気絶したそうです)と言われていますから、残酷さがうかがえます。
石抱
石抱は、1つ50kgほどもの重たい石の板を正座した膝の上に乗せるもの。
海老責
続いて海老責は、拷問蔵と呼ばれる場所で行われました。囚人の手を後ろで縛り、身体を前に曲げて、顔と両足が付くほど緊縛する、というもの。30分ほどで全身が真っ赤になったそうです。このときの体勢、または赤くなることから海老責という名前になったそうです(諸説あるようです)。