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お腹が空くのは絶対イヤ!熊本城を”食べられるお城”に設計した城主・加藤清正

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備えられない藩士はいらん!

加藤清正は、平時から米三升と味噌、銀銭300文を腰兵糧にいれて持ち歩いていたそうです。
常に備えることを忘れなかった加藤清正は、腰兵糧をしていなかった百姓を怠慢だと免職にしたと言います。

ストレスで猿と会話

徳川政権が樹立したころ、豊臣家と徳川家の関係は悪化。
そのため加藤清正は、お世話になった豊臣家につくか、お家存続のため徳川家につくか悩んでいたそうです。
加藤清正は、それから次第に飼っていた猿と話すようになっていったと言います。

 

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