これぞ江戸の花!?江戸時代の火消し集団「め組」と相撲力士による乱闘事件『め組の喧嘩』その結末は?

雲川ゆず

「火事と喧嘩は江戸の華」というフレーズもあるとおり、江戸っ子は喧嘩っ早かったことで知られています。

大小様々な喧嘩があちこちで起こっていたのだと想像できますが、なかには講談や芝居の題材にもなるほど有名な喧嘩があります。

その名も、「め組の喧嘩」。

今回はそんなめ組の喧嘩について、詳しくご紹介したいと思います。

そもそも、「め組」って何?

め組とは、町火消し(江戸幕府8代将軍・徳川吉宗の時代に始まった町人による火消し)のうち、隅田川から西を担当した「いろは四八組」というグループのなかの一つです。

いろは四八組は、いろは文字をそれぞれの組の名称としました(め組のほかにも、い組、ろ組など)。

め組の喧嘩とは?

め組の喧嘩とは、文化2年(1805年)に起きた火消し「め組」と江戸相撲の力士たちとのあいだで起きた喧嘩、乱闘事件です。

喧嘩の発端は、芝神明宮境内で行われていた相撲の春場所をめ組の一部の人(鳶職・辰五郎と長次郎)とその知人が無銭見物しようとしたこと。

木戸番をしていた力士と口論になります。そこにちょうど通りかかった力士の九竜山が木戸番に味方したため、辰五郎たちは一度去ります。辰五郎らは芝居小屋へ向かいますが、タイミングの悪いことに、そこで再度九竜山と鉢合わせてしまいます。

先ほどの怒りが再燃した辰五郎らは、九竜山に因縁をつけて喧嘩が始まりました。

同部屋の力士・四ツ車が他の力士を集めたり、投げ飛ばされた辰五郎の姿を見た妻のお仲が火の見櫓の半鐘をならしたり、辺りは騒然と。

普段、半鐘は火事を知らせるものだったため、火事発生と勘違いしため組の人々も集まってきてしまい、大騒ぎになってしまいました。

3ページ目 め組の喧嘩、その意外な結末とは?

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